エキスパート・コメント

武力紛争における文化財の保護

1.はじめに

 武力紛争の際に文化財が被害を受ける例は歴史上数多く知られています。そのなかには、ギリシアのアテネのパルテノン神殿が、1687年にヴェネチア軍の攻撃によって大きな損傷を被った例もあります。そのときギリシアを支配していたオスマン帝国がパルテノン神殿に火薬などを貯蔵していたことから、ヴェネチア軍がそれらをオスマン軍から奪う目的で神殿を攻撃したところ、貯蔵されていた火薬に引火したのです。それゆえ、神殿の破壊は戦闘行為に付随的なものであったといえます。このような例とは異なり、文化財がもつ象徴的な意味ゆえに、文化財の破壊そのものが攻撃の目的とされることもあります。例えば、アフガニスタンのバーミヤン遺跡の2体の大仏が2001年に「タリバン政権」によって爆破された例や、シリアのパルミラ遺跡のベル神殿が2015年に「イスラム国」(IS)を名乗る集団によって爆破された例などは、そのような例であるといえます。
 ここでは、パルテノン神殿の損傷のような付随的損傷と、バーミヤン遺跡の爆破のような意図的破壊とを区別し、それぞれの防止のために国際法がどのような制度を発展させてきたか、そして、現在の制度はどのような有用性と限界とをもっているかを検討します。文化財は、「自分がある国の国民である」というアイデンティティの基礎となることから、たとえ所有権をもつ者であってもその私人の自由な処分に任されるべき財産ではなく、それが作られた国またはそれが所在する国の財産であると考えられたり(「文化財ナショナリズム」)、人類の歴史の証拠として、特定の国の財産ではなく国際社会の財産であると考えられたりします(「文化財インターナショナリズム)。この2つの緊張関係に立つ認識いずれからも、文化財は国際的に保護されるべきものであると考えられ、そのための国際法の形成と発展が要請されるようになったのです。

2.付随的損傷の防止

 国際法は、武力紛争の際に攻撃の対象とすることが許されるものと、それが許されないものとを区別する原則(軍事目標主義)を発達させてきました。攻撃の対象とできるものは、それを破壊することが攻撃国に軍事的利益を与えるもの(軍事目標)であり、できないものは、それ以外の民用物であるとされています。この原則を実現するために、被攻撃国には、軍事目標と民用物とを識別可能にしておくことが期待され、攻撃国には、識別可能な民用物を攻撃の対象とせず、特定の軍事目標を対象とする攻撃が民用物の損傷をともなわざるをえない場合であっても、予期される軍事的利益と比較して民用物の損傷が過度であるような無差別攻撃を慎むことが義務づけられています。もっとも、民用物に対する危険を考慮しても、それに近接する軍事目標を攻撃する軍事的必要があまりにも高い場合には、当該軍事目標を攻撃することが許されます。このような国際法の原則は、慣習法として発展し、1907年の第2回万国平和会議で採択された「戦時海軍力ヲ以テスル砲撃ニ関スル条約」(ハーグ第9号条約)以降、いくつもの条約で宣言されてきました。
 このような武力紛争法の原則の下で、文化財を保護するための条約が発展してきました。まず、第2回万国平和会議でこれも採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の付属書である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」は、第27条で、「歴史上ノ紀念建造物」が「軍事上ノ目的ニ使用セラレザル限、之ヲシテ成ルベク損害ヲ免レシムル為、必要ナル一切ノ手段ヲ執ルベキモノ」としました。同様の規定は、先に挙げた戦時海軍砲撃条約第5条にも盛り込まれています。これらの規定は、「歴史上ノ紀念建造物」が民用物のなかでも特別な保護に値するものであることを宣言した点で画期的なものでした。しかし、「成ルベク」という修飾があるように、保護は努力目標とされ、それを確実に保護するための具体的な措置を文化財所在国と攻撃国それぞれに要求する内容ではありませんでした。
 なすべき措置の具体化は、1922年のワシントン会議で設置されたハーグ法律家委員会が起草した「空戦に関する規則案」で進められました。同規則案第25条は、「歴史上の記念建造物」が爆撃による損害をできるかぎり免れるべきであるとして、一定のデザインの標識を掲示するものとし、その濫用は背信行為とみなされると規定しています。さらに、同第26条は、「重要な歴史上の記念建造物」の周囲に保護地帯を設けることができること、保護地帯は平時に他国に通告されるべきこと、保護地帯の設定を戦時に撤回することは禁止されること、保護地帯を識別するための標識を設置するべきこと、保護地帯の軍事的使用は禁止されることなどを規定し、当事国が受諾する場合には、これらの遵守を確保する査察委員会を設置するものとしています。この規則案は条約として効力を生じることはありませんでしたが、これらの規定は、その後の条約の発展に示唆を与えることになりました。
 この他に、第1次世界大戦から第2次世界大戦までの時期の注目するべき条約として、米州諸国会議が1935年に採択した「芸術上及び科学上の施設並びに歴史上の記念工作物の保護に関するワシントン条約」(レーリヒ条約)があります。この条約は当事国がアメリカ地域の10カ国に限られていますが、後に述べる1954年の「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」を先取りする内容を含んでいることや、合衆国が当事国となったことから、大きな影響力をもちました。また、この時期に、赤十字国際委員会は、各国の都市を非武装化することによって、そこに所在する文化財を攻撃の対象とさせないようにしようとする「開放都市運動」を推進しました。この運動もあって、第2次世界大戦の際には、ブラッセル、パリおよびアテネなどが陸戦法規慣例規則第25条に基づく無防備都市であると宣言することとなりました。
 これらの条約にもかかわらず、第2次世界大戦では、多くの文化財が被害を受けました。日本でも、第2次世界大戦の際の焼失によって206棟の国宝建造物が指定を解除されました。この数は、それ以外の理由による文化財指定解除総数の5倍に当たるといわれています。このような経験を踏まえて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の主導で1954年条約および同条約議定書が採択されました。この条約は、武力紛争における文化財の保護の問題を現在考えるうえで最も基本となる条約の1つです。1999年には同条約第2議定書が採択されてその内容がさらに強化されています。なお、日本は2007年にこの条約とその2つの議定書を批准しました。そして、批准に先立って、それらの国内実施法として「武力紛争の際の文化財の保護に関する法律」を制定しています。
 1954年条約は、文化財所在国による文化財に対する“safeguarding”――公定訳は「保全」と訳していますが、「保全」は生物多様性条約の場合のように通常“conservation”の意味で用いられるので、やはり「予防措置(を講ずること)」と訳す方が望ましいと思われます――、ならびに、文化財所在国および攻撃国による文化財の「尊重」によって、文化財を保護しようとしています。すなわち、軍事目標主義に従って、文化財所在国には文化財を軍事的な目的のために利用しない義務を、攻撃国には文化財を攻撃の対象としない義務を課しているのです。さらに、「動産の文化財を収容するための限定された数の避難施設、限定された数の記念工作物集中地区及びその他の特に重要な不動産の文化財」については、国際登録簿への登録を条件とする特別保護制度を創設しています。また、文化財の識別を容易にするための特殊標章のデザイン――「ブルーシールド」と呼ばれます――などについても規定しています。なお、1954年条約の特別保護制度はほとんど利用されなかったことから、「人類にとって最も重要な文化遺産」に対する「強化された保護」制度が、同条約第2議定書で創設されています。
 1954年条約(第1)議定書は、文化財の掠奪(りゃくだつ)や押収の禁止を規定する1954年条約の第4条3項および第14条を受けて、占領国が占領地からの文化財の輸出を禁止すること、そして、違法に輸出された文化財がある場合には、その善意の取得者に補償を支払ったうえでそれを返還することを義務づけています。このような規定は、陸戦法規慣例規則の第28条(都市の掠奪の禁止)、第46条(私有財産の没収の禁止)、第47条(掠奪の禁止)および第53条(押収される国有動産などの種類の限定)、ならびに、「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」(ジュネーヴ第4条約)第33条(掠奪および被保護者の財産に対する「報復」の禁止)などの、戦利品の獲得を制限する国際法の発展を受けたものです。第2次世界大戦の際にナチス=ドイツがドイツ国内や占領地のユダヤ人などから掠奪した文化財の返還や、ソ連がナチス=ドイツから奪い、戦利品として持ち去った文化財の返還などの問題も、このような規定が設けられた背景に存在します。
 1954年条約とその2つの議定書に加えて、いくつかの条約が文化財の保護に関して規定しています。1977年に採択された「1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」(第1追加議定書)第53条は、文化財などを軍事上の取組みを支援するために利用することと、文化財を対象とする敵対行為をおこなうこととを禁止しています。また、「過度に障害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる通常兵器の使用の禁止又は制限に関する条約に付随する1996年5月3日に改正された地雷、ブービートラップ及び他の類似の装置の使用の禁止又は制限に関する議定書(第2追加議定書)」第7条1項i号は、「国民の文化的又は精神的遺産を構成する歴史的建造物、芸術品」等に取り付けるブービートラップ――同議定書第2条3項によれば「外見上無害な物を何人かが動かし若しくはこれに接近し又は一見安全と思われる行為を行ったとき突然に機能する装置又は物質で、殺傷を目的として設計され、組み立てられ又は用いられるもの」――を禁止しています。
 このように、1954年条約の締結などを通して、武力紛争における文化財の保護に関する国際法は発展してきました。国家間の武力紛争の場合には、国際法に基づく義務は、紛争当事国がその軍隊の指揮命令系統を通して履行することが期待されます。かりにそのような義務の違反によって文化財が損傷した場合には、被害国は加害国の国家責任を追及し、原状回復や金銭賠償などの救済を得ることができます。もちろん、加害国が救済を与えようとしないこともありえます。通商分野の義務の違反に対しては、相互主義に基づいて、被害国が加害国に不利益を課す対抗措置をとり、救済を与えるように促すことが可能です。しかし、文化財を破壊された国々が「報復」として加害国の文化財を破壊するとしたら、国際社会の財産とも考えられる文化財がいっそう失われることになります。それゆえ、文化財の保護についてとりうる対抗措置は限られますが、通常の国家ならば、国際社会の責任ある構成員であるという評判を失わないために救済を与えるものと期待できます。このような国家間の武力紛争における付随的損傷の防止と異なるのが、非国家主体による文化財の意図的な破壊の問題です。

3.意図的破壊の防止

 国際法は、武力紛争における文化財の保護を国家だけではなく非国家主体にも義務づけようと試みてきました。例えば、1954年条約第19条は、「国際的性質を有しない武力紛争」の「紛争当事者」に、文化財を尊重する義務を課しています。また、1977年に採択された「1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の非国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」(第2追加議定書)第16条は、「締約国の軍隊と反乱軍その他の組織された武装集団(この議定書を実施することができるような支配を責任のある指揮の下で当該領域の一部に対して行うもの)」との武力紛争について、国際的性質の紛争について規定する第1追加議定書第53条と同じように、文化財の軍事的な利用およびそれを対象とする敵対行為を禁止しています。当事者ではない条約の規定に非国家主体がなぜ拘束されるかは難問ですが、法的には、対象となる紛争が「締約国の領域における」ものに限定されていることから、非国家主体が締約国の機関に準じるものと位置づけられると考えられます。非国家主体が条約を履行することが期待できるのは、正統政府として国際的に承認されることを望むかぎり、条約を履行する能力と意思とを表示することがその主体の利益にかなうからであると考えられます。
 非国家主体のうちでも、「イスラム国」などは、国際社会の現在の秩序そのものに異議を申し立てており、正統政府として承認されることに関心をもっていないように思われます。そのような主体に、国際法をいかに遵守させるかは深刻な課題です。もちろん、国内社会でも器物損壊などの犯罪を完全に防止することはほぼ不可能であり、国際社会で武力紛争の際に「犯罪者集団」が文化財を意図的に破壊することを完全に防止することもきわめて困難であり、このことからただちに国際法は法と呼ぶに値しない一種の「道徳的な規範」であるということは短絡的かもしれません。しかし、「イスラム国」のように一定の領域を支配下に置き、指揮命令系統をもつ主体が文化財を意図的に破壊しようとするときに、国際法がそれを防止するための強制行動を可能とする規定をもたないならば、国際社会における「法の支配」の基礎となるはずの国際法に欠陥がないということはやはり困難であるように思われるかもしれません。
 このような事態への対処は、国際法の履行に関する通常のシステムというよりは、「国際の平和及び安全を維持すること」(国際連合憲章第1条1項)を目的とする国連の役割、とりわけ、そのための「迅速かつ有効な行動を確保するために」主要な責任を負う安全保障理事会の役割であると考えられます。もちろん、文化財の破壊そのものが「平和に対する脅威」にあたると認定するべきかどうかは1つの問題ですが、「平和に対する脅威」を構成する事態に対処する際に、文化財の保護のための措置をとることは可能であると考えられます。また、紛争当事者の間に停戦などが成立した場合には、停戦監視団などの任務に文化財の保護を盛り込むことも可能であると考えられます。「法の支配」の前提となる秩序の確立そのものが課題となる武力紛争のなかで、効果的な実力の行使や文民の保護などのさまざまな課題のうち、文化財の保護にどのような優先順位をつけるかは、政治的な決定にゆだねられるべき重要な問題であると思われます。
 なお、「国際刑事裁判所[ICC]に関するローマ規程」第8条2項は、歴史的建造物などに対する故意の攻撃を戦争犯罪の1つとして挙げ(国際的な武力紛争の場合についてb号ix;国際的性質を有しない武力紛争の場合についてe号iv)、それについてICCの管轄権を設定しています。実際に、ICC第一審裁判部は、2016年9月27日の「アル=マフディ事件」判決で、マリのトンブクトゥの霊廟の破壊などを理由として、禁錮9年とする有罪判決を下しています。ICC規程のこの規定は旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)規程第3条d号を受けたものですが、ICTYも2008年の「ストルガー事件」で、部下によるクロアチアのドゥブロヴニクの破壊を放置したことを1つの理由として、禁錮7年6か月とする有罪判決が下されています。国際裁判所による処罰はまだ散発的な例があるに止まり、その可能性が文化財の破壊を防止しているかどうかはまだ検証されていません。しかし、バーミヤン遺跡の破壊を受けて2003年にユネスコが採択した「文化遺産の意図的な破壊防止に関する宣言」でもうたわれていた各国による効果的な制裁が確立されれば、それとあいまってそのような効果をもつことが期待できるかもしれません。

4.おわりに

 自己の信仰にかかわる建造物などや自己の趣味にかなう絵画などを保護することは昔から広くおこなわれてきました。しかし、自己の信仰と異なる信仰の対象であるにもかかわらず、それが文化財であるがゆえにそれを保護するべきであるという考えや、悪趣味であると思う絵画なども文化財であるかぎり破壊するべきではないという考えが広まったのは、比較的最近のことです。「文化財ナショナリズム」は、人々のアイデンティティを国家が「国民」へと集約しようとした時代、とりわけ総力戦の時代に強まりました。「各人民が世界の文化にそれぞれ寄与していることから、いずれの人民に属する文化財に対する損傷も全人類の文化遺産に対する損傷を意味する」(1954年条約前文)という「文化財インターナショナリズム」の考えは、総力戦が核兵器の開発とあいまって人類の存亡を左右するようになったこの現代に、「文化財ナショナリズム」に対抗するものとして強まっています。日本の廃仏毀釈を思い起こしてもわかるように、文化財の意図的破壊は歴史的に珍しくない行為であり、「イスラム国」の行為はその1つにすぎないように思えます。それに対して、そのような行為を国際社会の共通利益の侵害であるとして防止しようとする試みは比較的新しいものです。この試みは、国際社会の地殻変動を反映するべき国際法学にとって、今後の発展のあり方が問われている大きな問題であるといえます。

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